iPhoneアプリ『らくらく自転車マップ―京都編―』の紹介
価格:¥450
カテゴリナビゲーション
サイズ26.7MB
言語:日本語
条件:iPhone、iPod touch および iPad 互換iOS 4.0 以降が必要
iPhoneアプリの著者として関わってみて
電子書籍の勉強会「イーパ部」において、『らくらく自転車マップ』というiPhoneアプリ(電子書籍)を制作することになったのは、3カ月ほど前のこと。紙の書籍で出された本を電子書籍にといったことには少し関わったことがあったのだが、一から作ること、特に紙ではないデジタル端末向けとしてのみ発売する過程は初めてだったので、楽しみつつ苦労した点などがあった。今回はこれを書き連ねてみたいと思う。
■やっぱり編者は必要なのかな
制作して思ったことは、編者がいないときついなということ。電子書籍は、“出版社不要論”とか極論も出ているが、少なくとも編者は必要だなと思う。電子書籍であっても、ものを書くし、書いたものを校正する、書いたものにアドバイスするという行為は変わらない。書いたものに誰がチェックを入れるのか。完全原稿であったとしても、電子書籍という形体、ターゲット層によっても、文体や漢字量、表現など細かく変える必要がある。紙の出版の場合は、原稿からレイアウト案を元に「組版」を行い、初校ゲラを出す。そして、再校、念校(三校)と校正を重ね、責了もしくは校了となる。図で表せば、下記の通り。
原稿・レイアウト案→組版→初校ゲラ→(校正)→初校戻し→再校ゲラ→(校正)→再校戻し→念校ゲラ→(校正)→念校戻し→校了(責了)
これは電子書籍になるとどうなるのか。入稿されたデジタルデータは完全データとして扱うのか。校正はどうなるのか。電子書籍ではどう扱われているのだろうか。どちらかというと、Web制作に近いのだろうか。epubやアプリ化されたものを、著者(クライアント)側が確認して、誤字・脱字などを確認する。この工程だけを行い、すぐに書籍の完成に至るのであろうか。あえて、著者(クライアント)としたが、誤字脱字であれば、編集の仕事ではなく、校正者の仕事である。ここに介在する余地はない。そうなると、電子書籍で編集が介在するとしたら、入稿前の段階の仕事が重要になってくる。
今回、文章構成や校正に苦労した。テキストを書き上げるのは著者の仕事であるが、その著作物を熟読し不要なところを削ったり、用語の統一を行ったり、不足している部位を指摘したり、書き直しを要求したり、これらは編集の仕事である。著者と編集が兼任することはやめたほうがいい。よっぽど文章に自信があれば別だが、よほどの自信家でないかぎり自分の文章の出来が100%間違いであると言い切れないであろう。今回は編集役(実は私が担当すべきだったんだろうが…)が欲しかったなというのが著者としての意見である。
とすると、ふと思うことがある。電子書籍の制作の場合、この工程はどうなっているんだろうか? 入稿する著者任せなのだろうか。出版社が電子書籍を出す場合でも著者任せになっていないだろうか。やはり編集でなくても全体の流れを仕切って指摘してくれる人が必要なのでは。
■となると全体を見渡すプロデューサーが必要なのかな
電子書籍でも「編集」をとなると、何か旧態依然としていて新しさを感じられない。言葉だけの響きだけでなく、電子書籍を仕切る上では、上記で語ったテキスト編集とともにアプリ制作(特にデジタル系)についての知識がないとやっていけない。どちらかというとアプリ制作のほうがメインだろうし。私はあまりこの分野には詳しくないのだが、Webディレクターとか言われる肩書きに近いのだろうか。「電子書籍プロディーサー」「電子書籍ディレクター」。なんか肩書きを聞いただけで敬遠してしまいそうな嘘くささだが、正直なところこういう人材が欲しいのでは。特に著者側は。
出版者側にそれを求めると、紙の出版社と変わらない。誰がその責務に応えるのか。責務に耐えられるのか。システムまわりを除く電子書籍事業でそれほど利益が上がっているのか分からないが、これらの人材が生きていける土台がないと伸びていかないような気がする。むしろシステムまわりより深刻な人材不足じゃない?
と書いてみたものの、電子書籍はこれを著者ひとりに背負うこともできるというのもメリットである。紙の出版では、編集というひとつの枠に押し込められ動きが取れなかったわけで、自分でやり上げるとうのもひとつの選択肢、もちろん自分の考えにあった校正者、編集者、ディレクターを探すというのも重要。そう考えても人材は足りない。
今回の作業では、著者とアプリ制作側が直接話し合って作り上げた。これはこれで貴重な体験であり、今後増えていくのかなと思うが、著者と制作側の上にたって毒(笑)を吐く人が必要だったかなと。「こんな文章使えない」とか「ここカットね」、「ここ書き直しね」とか。こういう正直な意見や感想が言えるのが編集だと思うので。著者側の意見、アプリ制作者側の意見これは重要、これに営業(編集)側の意見が入ると良さそうだなと。
■テキスト制作とアプリ制作はどう分ける?
やっぱり、制作で考えるとWeb系の作り方が参考になるような気がしてきた。この分野のプロじゃないので分かりかねるが、Web制作では、デザイン、プログラム、コーディングは分業化されて、これらをまとめるディレクターの仕事も確立している。ああ、でもテキスト制作という意味では、紙の書籍も、編集、校正、組版と分業解している。そうなると、テキスト制作とアプリ制作はくっきり分けるべきなんだろうね。
ん、違うぞ。Webにもテキスト部分は存在し、Webに適したテキスト編集も行っているはずだ。そうなると、ディレクターの元にあった編集を電子書籍スタイルにシフトしていけばいいのだろうか。変に紙の書籍の編集スタイルを電子書籍に取り入れらられても… という人がいるのかもしれないし。でもいい部分は取り入れて欲しいし。ここは難しいな…
今回の反省で言うと、原稿が揃ってなかったのが制作の遅れに繋がったかなと。テキスト制作の分担がしっかりしていればと後になって思うこと。著者が校正・校閲をするのはきびしいのかな。
■販路はどうするのだろうか?
販売はどうなるのだろうか。紙の書籍の場合は、取次に新刊見本を出すところから始まる。取次の担当者に装丁やざっくりとした内容を見てもらって、納品部数を決めてもらう。この納品部数が、他出版社との差別化となり書店での陳列に違いがでてくる。当然、大手出版社は有利だし、有名作家を抱える出版社は強い。
電子書籍ではどうなるのだろうか。紙の書籍に比べかなり簡素化された。この部分は、著者取り分が上がるメリットを生む出すのは当然だが、同時に中間業者が減ったことにより、単価も下がった。というか下がって当たり前という雰囲気を生み出している。
売れるかどうかを判断をする人、それは紙の書籍では、(出版)編集、(出版)営業、取次、書店と各段階でふるいにかけられ、エリートだけが残ってきた。ここでふるいに落とされた泥臭い本の救い道、もしくはこのような強固な船団に反発を持ってきた人が頼ったのが自費出版であったり、同人誌であったりしたわけだが、そこに電子書籍が加わる。電子書籍は、ふるいや差別化がなくフラットな構造。単純に売れているか売れていないかでふるいにかけられている。
在庫がないというのも大きい。とくに読書の前の段階、書店と販売場所(App Store)に大きな違いがあると思う。
■売り込み先はどこなのだろうか?
(紙)出版社→取次→書店→読者
(電子)著者→販売場所→読者
在庫が無いことということは大きい。読者の前の段階、書店と販売場所(App Store)の違いがわかるだろうか。それは小売であるかそうでないかという違い。App Storeは小売ではない。小売は、「顧客が求める物品を扱う」ため商品を責任をもって仕入れ売り切らないと、不良在庫を抱えてしまう。ゆえに、ふるいにかけ、売れる本売れない本を経営者が判断し、差別化を行う。そこで品質の維持を行い、顧客に満足度を与えてきた。
だが、App Storeは違う。場所を提供しているのであって、品質を補償しているわけではない。これは在庫がないということ、登録料をはじめとする初期投資を著者側に求めていることが大きいと思う。そう言う意味では、従来「書店」に営業すること、品質のいい商品を売り込むことで出版社の価値、編集の価値を高めてきたが、電子書籍では求められるものが違う。それは、直接ユーザに訴求できるかということである。これは、いままで読者よりかは取次や書店の方を見ていた出版社にとっては難しい問題ではないだろうか。売れていないのは、端末云々よりも売り込み方が混沌としていることに原因があるのではないかと思う。
そうなると、著者の負担が大きい反面、やる気が重要となる。著者はいままで売るという行為に対しては直接的に関われないでいた。書店に売り込んでも、出版社からごにょごにゅと言われたり、売るにしても在庫を持っていないので、出版社に1冊ごと伝えないとダメだったり。電子書籍はそれが解消される。在庫はないし、販売への誘導も簡単だ。しかし、売り込み先が“読者”というつかみ所のない大海の水をすくっているようで、難しい。インターネット、SNSを利用したとしても、やはり“書店”的な役割を果たすものが必要なのかなと思う。それがユーザレビューだけというのも何か違う気がする。
今回の作業でいうと、売り込み先が難しいなぁと。直接訴えても買ってくれる人はそう多くない。いかに効率的に販路を作り上げていくのか課題になる。もう1点は、原稿の“責任”の所在。紙の出版物の場合、出版社が責任を持つ。そのために、著作物に対して、編集して口を出すわけだけど、電子書籍の場合はやっぱり著者が全責任を持つんだろうか。差別表現とか誤記とか、著者が責任を負えるのだろうか。公に販売をしている以上、その責任は曖昧にはできない。