亮月写植室に行ってきました_8月20日その1
大阪DTPの勉強部屋、初めてのお泊まり勉強会、
「大阪DTPの勉強部屋サマースクール」と題した、
土岐市「亮月写植室」見学ツアーに行ってきました。
参加者
参加者は、わたし西尾(@tonybin)と、
大阪DTPの勉強部屋の代表、えむさん(@workstationm)
同じく大阪DTPの勉強部屋の相談役で
同勉強会で組版教室の講師をされている大石さん(@works014)、
技術系マニュアルの編集、ライターをされているともちゃんさん(@tomochan_1974)、
マニュアルや翻訳系の組版をされている、るるるさん(@rrrdtp)、
昔、写植のオペレーターをしていたうえきさん(@apo_gee)、
東京の某大学の工学部の学生でありながら、
文字マニアであるマッシュアボウさん(@mashabow)、
Webデザイナーでありながら、文字にこだわるWebサイトを構築されている加納さん(@estosdr)、
奈良のデザイナーで勉強会やイベントによく顔を出される勉強家、こぶたさん(@kobuta333)、
大阪の某印刷会社の工程管理担当、れれれのさん(@rerereno)。
※Webで公開されているかたのみ実名で…
そして、写植室の見学会を快く引き受けてくださった桂光亮月さん。
今回の勉強会のメインゲスト亮月さんに感謝です。
土岐市について
名古屋から中央本線快速で50分ぐらい。
私の家(京都)からだと鈍行で5時間、新幹線経由で3時間ぐらいかかる。
駅前は、商工会議所寄贈の600キロもある巨大湯飲みが飾られているなど、
田舎っぽさも醸し出しながら、
おしゃれなエステが駅前のビル2Fにテナントとして入ってるなど現代的な雰囲気を持っていた。
少し歩けば、趣のある商店街。
炊き出しのような感じで弁当が売られていたり、廃ビルのようなビジネスホテルがあったりと
暖かみのある空間が開けている。
『へうげもの』で有名な古田織部、その織部焼きで有名な土地柄ということもあり
ところどころ「○○窯」などやきものに関する場所があるのも面白い。
美濃の窯大将である加藤景延の子孫か?
加藤康景さんとか加藤○景さんとかのやきものが飾られていたりして、
歴史好き、やきもの好きにはもってこいの場所のようだ。
亮月写植室へ
昼12時に集合し、一同コメダで昼食を食べて、
やれ、「でかすぎるだろ、これ」とか「昼にシロノワールを食べよう」など1時間程度話しながら
3班に分かれて亮月写植室へ。
私はA班。
大石さんとうえきさんとれれれのさんとで一番最初に写植室に。
駅からタクシーで20分2000円ぐらい、
直線の山道コースと、少し遠回りの川沿いコースがあるがどちらも同じぐらいだった。
山道コースは人によっては車酔い危険コースかも。
で、写植室に到着。
部屋は4畳半程度だが、写植機が2台に暗室もついていてまさに“写植”の部屋といった雰囲気。
80年代にタイムスリップしたような気分に。
同行したみなさんも一斉に「お〜」「すごい」とか感動の声をあげた。
なんでもこの写植室、お父さんと折半で家を建て増ししたらしい。
奥には、お父さんの仕事部屋があるそうだ。
また、写植機は譲ってもらったものではなく、購入したものだそうだ。
この情熱。スゴイというしかない。
「SPICA」は舩木さん(@funaki_naoto)が滋賀にあるという情報を得て購入したそうだ。
舩木さんどこまでアンテナもってるんだ…
電気を入れてもらうと、昔のマシンの駆動音。
「きゅい〜ん」といった懐かしい音が部屋中にこだまする。
これだよ。今、静音とか言ってるけどこれじゃないと機械じゃないな。
「おはよう」とあいさつしているようにも聞こえる。
「ぎゅいーん」だと「今日調子が悪いんだ」とか機械の発する言葉があるんじゃないか?
「写植機の音」(亮月写植室)
http://ryougetsu.net/ab_sound.html
亮月さんから「写植」の歴史や写植機の構造について詳しく説明を受けた。
写植機のメーカーは、写研、モリサワ、リョービがあり、
写研とリョービでは互いの文字盤を装着できるけど、
モリサワの写植機には装着できなかったそうだ。
だから、写研とリョービを持つところが多かったそうだ。
「写植機の原理」(亮月写植室)
http://ryougetsu.net/ab_genri.html
写植機の操作方法は大石さんとともに動かし方をご教示いただいた。
この部屋には、贅沢にも元写植オペレーターが2名いらっしゃったので、
うえきさんと大石さんとが昔を思い出しながら、
ボタン、スイッチひとつひとつを説明していただいた。
(全然覚えられなかったけど…)
ひととおり説明が終わると、マガジンに印画紙をセットして、
写植機を動かしてひとりひとり印字していこうということになった。
なお、この取り外すマガジンが15万円もするそうだ。
現像液、マガジン、印画紙など写植機は消耗品が今となっては手に入りづらいそうだし、
写植機を動くように維持していくのは本当に大変だ。
それをこなしていらっしゃる亮月さんには頭がさがる。
私は、「西尾昌也 松籟社」と印字した。
文字を探すのは大変。
「昌」と「社」は自力で何とかしたが、他は場所を大石さんや亮月さんに教えてもらった。
「籟」はもちろん無かったので別の書体で。
結局、1文字10〜20秒程。とても効率的ではない。
でも当時のオペレーターは1字1字探して打っていたんだな、と考えると
当時作られた書籍はオペレーターに感謝しつつ正座して読まなければならないな。
印字の仕方も、固定してシャッターを切るので、音で表現すると「ガチガチャッツ」。
これが1文字1文字響くんだから、当時はすごい響いてたんだなと思う。
でもなぜかうるさいとは感じなかった。暖かみのある音というか。
私の後のうえきさんはさすが、指が覚えているのか早い早い。
あまりにも熱中しすぎたせいか、次の班へ電話するのを忘れてしまった…
次の班が来るまで、時間が少し余ったので「tonybin shoraisha」も。
こちらはInDesignでいうところのプロポーショナルメトリクスのような詰め方。
※肖像権、著作権の問題がありましたら西尾(@tonybin メール)までご連絡下さい。
表現には配慮したつもりですが、名前の問題、顔写真、語句の間違いなどもすぐに対処します。